1)欧米式の専門医としての開業(二束の草鞋医者)を目指して
留学して大学病院に戻ると、「自分の居場所」がない疎外感を感じ、教授になるのを目的として働いている者が多いところである大学を辞職し、大学時代のラグビー部の先輩の病院(横浜市 戸塚区)に就職した。病院に通うというより、「合宿所」に通うようなものあった。その後、欧米の医師のように「クリニック(オフィスと呼ぶ)」を持ち自分の患者さんは提携病院で自ら手術する専門医としての開業を決心し、平成7年2月より東京世田谷でクリニックを開設した。当初、午前中は病院勤務でクリニックは夕方4時からで8時半までという変則的な運営を約10年間してきた。横浜の戸塚と世田谷また自宅のある渋谷(当時)と車で一日中動き回った。東京のクリニックを閉鎖する約1年は通常の形で午前中も診療するスタイルに変更し、連携先を田園調布の病院に求めた。これも実は同じ先輩の経営する系列の病院で、また「我儘」を先輩は聞いてくれた。前のクリニックでは泌尿器科の患者さんが70%、外科・肛門科20%あとの10%は漢方治療を希望する患者さんであった。漢方治療は泌尿器科の疾患のみでなく内科、胃腸科、整形外科、皮膚科、婦人科など多岐にわたり治療してきた。当初の目的である欧米式の開業は連携先の田園調布中央病院の協力を全面的に得て順調に機能した。クリニックで手術が必要な患者さんは田園調布で自ら執刀し、退院後の経過はクリニックで診るという方法をとり、欧米型の専門医の診療所を確立した。
2)欧米式の専門医開業のから「昔ながらの街医者」へ
世田谷のクリニックでの「専門医の欧米型診療所」を経験し、開業医の本質である「自由な発想」がある程度実を結んだと考えている。2006年春に川崎市中原区に新居を構えたのを機に新たな診療所の構想を立てた。 「なんでもとりあえず相談できる街の便利医者(初期医療)であり、専門性も兼ね備えた診療所」である。 初期診療は所謂「よくある病気(コモンディジーズ)」内科のみならず外科的な病気も診療所レベルで対応できるものは診療するというスタンス。欧米では「GP」と呼ばれる「かかりつけ医」や街角にある「Walk-In Clinic」など予約なしで診てもらうクリニックがありますが、自分の感覚としてはこれが一番近いかも知れない。必要であれば専門医へ遅滞なく紹介しクライアント(患者さん)とって一番有利なことをする。世の中の医療現場では「患者中心の医療」を行うという極めて単純なことがなかなかできないのが現状であるが、それを実践するのが「街医者」の使命であると考える。難しい病気・珍しい病気の研究や診断など「病気中心の医学」をする大病院や大学病院とは対極にある。本来、全ての医療現場において「医師がその治療を考える際、自分の親や家族に選択するであろう最善の治療法を目の前の患者さんにもする」ということ。いつもこの感覚をなくすことなく「街医者」として生きていこうと思う。初期診療に必要なのは内科・外科・整形外科・耳鼻科・皮膚科・眼科・小児科・泌尿器科・精神科などすべての領域で、大病院や専門家にしかわからないことを除きなるべく診療所で対処する。「街医者」の仕事は地域に根付き、患者さんとその家族などを継続して見守るのが仕事であり、身体的、精神的健康を維持するための「よき相談者」でなければならないと考える。一昔前の「開業医」は皆そうであったに違いない。事実、自分自身が幼少のころ、内科開業医である母方の祖父に「昼の散歩」によく連れ出された。散歩とは事実上「昼の往診(往診の依頼がなくても)」で「ばあさん元気かい?」とか「じいさん、そろそろ薬ないんじゃないか?とりに来いよ」などを街の人々に声を掛けるための散歩であった。「街医者」の原体験をもとに、自分自身の開業医第2章を「昔の開業医のように」でやって行こうと考えている。
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